【赤ちゃん誕生】人や子供に興味関心はなかったが…アスペルガー症候群(ASD)
最近第一子が生まれた。
嫁は女の子が欲しかったみたいだが、僕はどっちでもよかった。
生まれてきた子を受け入れるだけだから、生まれたいように生まれてきてくれればいいと思っていた。
このブログの筆者であるなっさんには、アスペルガー症候群特有の他人に興味を示さないという特徴があるからなのか子供には全く興味関心はなかったが、
教育を経験したいということで子供が欲しいと思っていた。
子供って、自分勝手でわがままでうるさくてただめんどくさいと思っていた。
そう、自分の子供が生まれるまではそう思っていた。
嫁自身もそう感じていたそうなw
生まれてきた我が子に対する感情
でも、いざ自分の子供が生まれたらすごく可愛く感じた。
自分の子供は特別だとか自分の子供が一番可愛いとよく言われるのがわかった気がする。
なっさんの場合は、赤ちゃんの頃の自分と顔が似ているため、昔の自分と被らせて見ているのかもしれない。
生まれた時は嫁は病院にいてなっさんは家にいたので、嫁から「無事に生まれたよ」っということで写メを送ってもらったのが我が子を初めて見た瞬間。
その時になんか昔の自分のことのように感じて、やっと無事に生まれてきてくれたねって思えた。
この姿形でこの状態で生まれてきたこと自体がまるで奇跡のように感じた。
まさか子供にそんな感情を抱くなんて、我ながらびっくり。
実際生まれた赤ちゃんと対面してからは、赤ちゃんを抱っこしながら優しく話しかけている自分がいる。
変な創作の歌も歌っているw
自分の感情が見えるような言動や仕草に対して抵抗を感じていたのに、この変化に自分でもびっくり。
そして自分で言うのもなんだが、我が子はなかなかのイケメンっぷりだ。
今ベトナムに住んでいるわけだが、近所や親戚や嫁の友人なんかも口を揃えてイケメンだと言っているようだ。
今も前も、他のどの子を見ても可愛いとは感じないが、自分の子供だけは可愛いと感じる。
ただの親バカなのか。。。
教育や接し方の方法
そして我が子への教育の方法だが、アドラー心理学という名前の哲学の中でも言われているような方法の接し方をしようと考えている。
「親対子供」のような上下関係を構築するような接し方をするのではなくて、「人対人」のような対等な関係を構築するような接し方だ。
自分の経験と自分で集めた情報を分析すると、
相手が子供でも誰と接する時でも、そういうその人の人としての良さや個性やリスペクトを尊重するような接し方がベストだと感じたからだ。
この接し方が一番心を育てると。
最初に生まれた子供だからという理由で、「お兄ちゃんなんだから」とか「お姉ちゃんなんだから」とか言われても、
それはその子を見ていなくて「第一子という立場」を見ていることになる。
こういう考え方とアドラー心理学という名前の哲学の中で言われていることがたまたま同じでびっくりした。
そういう接し方を持って、心の健康や夢を大事に、そして快適に幸せに生きていく方法や考え方を学んでもらいたい、そう思う。
アスペルガー症候群や発達障害の遺伝
ところで、アスペルガー症候群は発達障害の中の自閉症スペクトラムの中に分類されているわけだが、これは遺伝しやすいと言われている。
しかし、我が子には今のところ少なくとも自閉症状はないような気がする。
自閉症状がある場合は感覚過敏があるので、特定の刺激に対して過敏に反応してすぐ泣くはずだと思うからだ。
個性の尊重をして接して、個性を伸ばして生きていってもらいたいため、そういう障害があってもなくてもどっちでもいい。
むしろ、個性のある人の方が僕は好きだ。
嫁は心配しているようだが障害持ちは嫌だとかいうのは差別であり、
究極を言えば普通であっても普通でなくても結局は生まれてきてよかったと、幸せだと感じるようになればどちらでもいいはずだ。
普通でなくても笑顔が輝いている人たちはいる。
そういう人たちは生まれてきてよかったと感じているはずだ。
うまく障害や個性と向き合って自分の生き方を見出すことができた人たちだ。
自分のことを尊重できている人たちだ。
そういう最終地点に到達しさえすればいいと感じる。
そのためには僕自身の理屈っぽいところも直さないといけない。
嫁が一般的な日本人女性よりも感情型かつ理不尽なので、そんな嫁と接しているといい訓練になるので問題はなさそうだ。
まぁ、前までは衝突の頻度と程度が激しかったが、なんとか減らしていくことには成功している。
そして、心配だった聴覚過敏もなんとかなっている。
今までは赤ちゃんの泣き声が耳に触っていたが、今は泣き声自体に意識をフォーカスさせるのではなく、
「なぜ泣いているんだろう?」というところに意識をフォーカスさせることによって聴覚過敏を瞬間的に軽減することができている。
先天性の問題であっても、意識の継続と諦めない心構えがあれば幾らかは改善をさせていくことができている。